兄がいる。家族構成を述べているのではなく俺の後方に兄がいる。いつもの如く菓子作りに精を出す俺の背後で、終始にこにこと何を考えているのか全く読めない微笑を浮かべているがこっちは(色んな意味で)気が気ではないっていうのに、そんなこと知ったこっちゃない兄は仕舞いには鼻歌まで歌いだすのだから空恐ろしい。忙しいんじゃないんだろうか。「お前こんなところで油売ってる暇ないだろ!」と何度も突っ込みを入れそうになったが、今までの経験から上機嫌な時の兄ほど奴ほど厄介で物騒なものはないことを身をもって理解しているからこそ、気を抜けばポロリと零しそうになる言葉を必死に飲み込むなどという無駄な努力をしている。兄は、自分が密かに要注意人物から危険人物へと格上げされることなど知らないだろう。おまけにだ。(知られたら知られたで厄介なこと この上ないに違いない)何を企んでいるのかと先読みせずとも今日という日のこのシチュエーションから展開を読み解くことは容易であり、奴の言動に対して悉く無視を決め込んでやろうと目論んでは見るが なかなかどうして。考えたように上手く物事が運ばないのが世の中というもので。時々 神様は非情すぎるだなんて逆恨みをしたところで何も解決はしないのだが、ならばせめて八つ当たの対象であってくれと儚い願いを託しながら心の中で毒を吐く。なんていうか、こんなのと血が繋がっているのかと想うとほとほと嫌になる。
「今日が何の日か知っているか」と問い掛ける兄はやけに愛想がよく、はっきり云って物凄く気持ち悪い。知っているかも何も世間の男共が揃いも揃って今日ほど浮き立つ日もないだろう。知らない方がどうかしている。有難いようで迷惑極まりないイベント。そう 今日はバレンタインデーなのだ。告白だのチョコをいくつもらっただのと浮き立つ奴らを尻目に変なところでシビアな俺は、義理でも何でもいいから時音から貰えたらそれだけで十分なんだけどと嘯いてみる。まぁ 時音から貰えなくても今作っているチョコレートケーキをプレゼントするつもりでいるわけなんだけど(今日という日の為に色々と試行錯誤してあいつが喜びそうなの作れそうだし。逆チョコなんていうのもありっていうしさ。時音の喜んだ顔が見れたらそれだけで嬉しいし。)そんな俺だけどクラスメイトからも義理のおまけみたいなチョコをくつか貰ったので中々捨てたものではない(義理だけど。あくまで義理だけど去年までは惨敗に終わったのでそれに比べれば可愛いもんだろう)けれども そんな些細な優越は兄には一切通用しない。何故ならばこの日奴のモテっぷりは半端ないからだ。チョコの山は当たり前。呼び出しの電話が常に鳴りっぱなし。毎年、嫌味かと苛立つほどに見せ付けられている光景は不快の一言に尽きるのだが、まぁ そこまではよしとしよう(むかつくけど。物凄く腹が立つけど。)問題はそこから先である。趣味がこうじて行われる菓子作りは当然のようにこの日も行われるのだが(勿論 この日作るお菓子は時音のためっていうのが本音なのだけれども)何を勘違いしているのか。奴は「俺の分は?」と催促をするのだから理解できない。あれだけチョコやら何やら貰っておいて何故に実の弟に当然のようにチョコの要求をするのか。というか、世間一般的に男が男にチョコを送る風習ではないことを理解しているのだろうか。おまけに兄弟なんですけど、兄弟でチョコ(しかも手作り)って。閉口するばかりの光景は慣れないどころか年を重ねるごとに違和感を拭えずにいるわけなんだけど、理解できないので兄は喧嘩を売りにきたのかあるいは自慢でもしたいのだろうかと想い込むようにしている。まぁ そうじゃなくても世の中、凡人には理解できないことが多々存在する。多分 兄の奇行もその中の一つなのだろうと結論付けてしまえば奴の為に無駄な時間を裂く必要もない。そんな感じで想わず兄の問い掛けを切欠にどうでもいい思考に浸ってしまった俺だったが(あれ?結局奴のことを考えてしまったじゃないか!無駄なことした)作業に夢中になり過ぎて聞いていなかったのだろうと勘違いした兄が(どうしてそこであえて無視をしているという選択肢がないのだろう こいつは。どこまで自分本位な奴なんだ!)もう一度「今日は何の日か知っているか 良守」と問い掛けてくる。「知んねぇ」と興味なさげを装って適当に相槌を打つ俺の返答に振り返らずとも気持ちの悪い笑みを浮かべているのだろうとなんとなく気配で分かる。だからなんだっつぅの お前は!そんな 毎年毎年俺からチョコを貰わなくても恵んでもらってるくせに(しかもこいつの場合は大半が本命のそれで。女共の気合の入りっぷりは凄まじいものがある)なんだって まぁ そんなに欲張りなわけ?いつもの気まずい沈黙も苦手だけど今日みたいな気色の悪い沈黙も居た堪れない。ったく 義理立てしたいんだか俺をからかいたいんだか分かんねぇけど本当に面倒な奴だと零れた溜息に苦い笑みが混じる。意地はろうが知らぬ振りしようが何だかんだで結局根負けして今年もチョコを渡す羽目になるんだろう。(気づけば兄の掌の中で踊らされていることばっかりでそれを理不尽に想いながらも甘受してしまう俺ってばもしかしなくても 奴に甘すぎるのだろうか?一年で一番甘い日になんて事実を発掘しやがったんだ俺はと頭を捻りたくもなるが笑い話になりゃあしないっての!嗚呼 なんていうか もう やってられっか!)





バレンタン(20100214)