肩書きが、どうしようにもなく重荷となる。
自分で選び決断を下したそれに雁字搦めに縛り付けられ、逃げ場所までもを奪われようとしているなどと、そんな話を何故、弟にしてしまったのか。気が緩んでしまったのか、それとも単に甘えを赦して欲しかったのか。あるいは、甘やかして欲しかったのだろうか。どれもが正解でどれもが違うような、いまいちはっきりとしない理由(理屈あるいは 言い訳)を考える内に、兎は淋しいと死んでしまうと云う話を想い出した正守は、人間だって兎のそれと対して変わらないのではないかと潔く結論付けてしまった。(むしろ愛らしくカモフラージュされない分、醜さが際立ってしまうのかもしれないが。)そう、正守は淋しいのだ。どうしようにもなく。くだらないことで思考を巡らせている内に、淋しい自分を自覚してしまったのだ。自慢じゃないが、親愛、敬愛、友愛、と様々な『愛』を与えてくれる相手は捨てるほどにいる(勿論、『愛』以外の感情を投げつける相手も腐るほどいるわけだが。)。それでも、付加価値のある『愛』は、いつだって正守を満足させはしない。高揚させてはくれない。『愛』に満ち溢れているのに、可笑しいくらいに『愛』に飢えているのだ。故に、満たされきれない淋しさが新たな重荷となってしまうという何たる、悪循環っ!
素直に感情をぶつけられる相手が、一体いつからたったひとりに限定されてしまったの、か。
小さな反応までもを見逃さないようにと注視する相手が、何故弟なのかが分からない。分からないが、感情を吐露したことにより正守が抱えきることの出来ない淋しさが少しだけ薄れたような気がしたのは、いつもは苦虫を潰した様に顔をひきつらせる弟の小さな手が「大丈夫だよ」と云わんばかりにゆっくりと背中に触れ、その優しさが、身に染みたからなのだろうかと、考えてしまった。
正守の絶対的な地位を占める弟を、どこまで『特別』の線引きで手放させずにいることが出来るのか。
無駄な嫌いが自分が、それこそいくら考えても無駄でしかない絵空事を追い求めているなどと、年の離れた弟が知ったなら一体どんな顔を見せてくれるのだろう?困ったことに、願いも、疑問も、いつだって尽きることはないのだ。
さびしいうさぎ(20091219)
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