いつまでたってもはじまらない勘違いはいつしか本当になれるのかしら?
人間って複雑怪奇で見ていて飽きないけど時として酷く面倒くさい生き物よねと何気なく良守に云ったら、何を馬鹿なことを云うんだって笑われたけれども、瞬きする間もないほどに短い命を燃えるように生きるのだから妖として長い時間を紡ぐ私たちにとってはそんなあんた達がね 羨ましくもあるのよ。あの餓鬼はまだ置いていかれる苦しみをしらないから笑えるんでしょうけれど。恐れを知らないからこそ我武者羅に生きることが出来るのかもしれないけれども。長く生き過ぎてしまった私達にとってはそんな『生』が羨むほどに眩くもあることを理解して欲しいものだわなんて想ってしまうのは、面倒くさい生き物に対しての愛着故かしらね?あくまで傍観者である私達にとって彼等の生き方は長編ドラマを見ているような錯覚に陥ってしまうこともあるけれども、此処は現実世界で目の前にある彼等はブラウン管越しではなく確かな熱を帯び呼吸をして生きている。そんな彼等が繰り広げる劇的なドラマは最高の娯楽であるのかもしれないわね、なんて云ったなら失礼に当たるのかもしれないわね。それでも瞳を閉じることなんて出来やしないんだわ。
私の目前には嘘を愛する男と、線引きした女と、呪う男と、焦がれる女がいる。てんでバラバラに剥いた矢印が、互いの因果がどのように結ばれるのを見届けることが今の私の使命であり楽しみでもある。時折は、彼等の描く葛藤劇に演出の色をつけてしまうこともあるだろうけれども、彼等がどこに行き着くのかを傍観することが私に課せられた使命でもあるのかしらね。それでも、『それでも』と想う。馬鹿をやって苦しんで傷ついて、時には喜びに浸る。そんな当たり前の日常を当たり前のように繰り返す限りある時間を生きる彼等が愛しいわ。少なくとも、共に明日をと哀しみや嬉しさを共感しあえるくらいには ね。





みとどけるいのちの はなし(20100619)