泣きたいくらいに優しいあの人は自分自身に厳しい人です。そんなあの人が鎧を脱げる場所なんてもしかしたら何処にもないのかもしれない。どんなに疲弊しても背負い続けるあの人は、立ち止まることはあっても振り返ることも歩みを止めようともしないでしょう。(いえ。出来ないのでしょう。)そんなあの人と私とでははじめから釣り合いが取れないことなんてわかっていました。あの人と過ごす静寂な時間が私達の距離を縮めてはくれないことなんて理解しています。それでもあの人は私の名を呼んでを求めてくれる。過信してもいいのでしょうか。あの人の休める場所が此処にあるのだと私の傍にあるのだと信じてもいいでしょうか。赦されるんならあの人を支える為に生きているのだと自惚れても いいでしょうか?
あの人の為に生きたいのだと願っても よいのでしょうか?
たいようはきれいだといったいだれが いったのでしょう?(かがやきにかくされたかなしみをあなたはしっていますか?)(20100709)