「これやる」
この男は挨拶もろくに出来ないのかと呆れ半分。礼儀を知らぬ者が親などとは笑止千万!坊ちゃまに悪影響を与えかねんと美麗な眉を引き攣らせたヒルダが、帰宅後の玄関先での男鹿の第一声に眉を潜め小言の一つでもくれてやろうかと口を開きかけた、矢先。ずいっとぶっきらぼうに差し出された右手に声をかけるタイミングを失ったばかりか、あまりにも男に不釣り合いな存在とのギャップに閉口し想わず釘付けになる。骨ばった手の中で主張する淡い黄色の色彩が 一輪。魔王の親としての素質を持つ男が、花?あまりにも不似合いすぎるどころか、不自然すぎて滑稽であることをおそらく誰に指摘されるまでもなく男鹿自身が一番理解しているのだろう。うっすらと赤く染まった目元と、照れているのか怒っているのか判断し難いそれは微妙に歪んでいる。柄にもなく照れているのか?この男が?ありえない。だが、そのありえない現実に困惑しフリーズしてしまった自分自身もまた、ありえない。ありえないことが、ありえない。そんな、ありえないことの連続で瞬間的に麻痺してしまった自分を認めたくない一心で余裕のある振りをして馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うことも出来たが、なんとなく。なんとなく、たまにはそんなありえない現実に流されてみてもいいのではないだろうかと思案することの、ありえなさ。何だか今日はおかしい。自分も、男鹿も。互いが互いに無言で所在なさげに佇む花を見つめている。花屋で売っているような美しく鮮やかなものでもなければ、魔界に咲き誇る禍々しに満ちた花でもない。ただ、可憐という言葉が相応しい そんな愛らしい花。なんたる不似合い。なのに、そこだけが非日常的な違和感に彩られている。そんなこんなで数分間身じろぎもせずにどう対応していいのか困惑するヒルダにいい加減焦れたのか、早く受け取れよと強引に押し付けられたそれは、骨ばった男の指から一転、ヒルダの華奢な指の中で緩やかに存在を誇張している。
「・・・あ・・姉貴が云ってたんだよ。女は花が好きなんだろ?だから お前にやる。」
いつもよりもやや控えめな声色。照れくさいのか、恥ずかしいのか。さりげなく反らされた茹でタコのような顔。なのに、ちらりちらりとヒルダを窺うような視線。その指先には、ヒルダの為にと男鹿が差し出した可憐な 花。(そして、自覚こそないが嬉しそうにほんのりと頬を赤く染めたヒルダ)無言と沈黙。空気を読んだように二人を見守るベル坊。静かに、穏やかに、ゆるやかと流れる時間。何もかもが、ありえない。そしてこの「ありえない」ほどに優しい時間は、30分後の男鹿の姉の帰宅まで続くので ある。
花に 罪(きみに こい)(20110217) |