「前々から想ってたんですけど、ヒルダさんって『男鹿の嫁』って云われても否定しないんですね。」
嫌じゃないんですか?と。幾分、羨望と挑発の入り混じった声色で問われた質問に「それが 何か」と返答する。至極冷静な受け応え気に喰わないのか。この男。一見、害のなさそうな顔をして実は腹黒く、知(恥)将の名に恥じぬ策士であり、何よりとある人物に対しての執着心は並はずれたものであることをヒルダは熟知している。いつもなら、冷静にあしらわれれば簡単に引き下がる古市だが、とある人物・男鹿のこととなると目下 引き際を知らない。
「いや、深い意味はないんですけどね。ヒルダさんそういうの嫌がりますよね。なのに、さも当然のように受け入れているものだから。あれって想っただけなんですけど。」と困ったような顔をしているが、腹の底では何を思案しているのやら。おどけたようでいて、瞳は探りを入れるように真剣なのだから笑えもしない。いつのことだったか。おそらく出逢って間もない頃の話。何んともなしに二人の関係性を問うたことあり、その際にこの男は嫌々ながらに『悪友』と答えたが、実際は悪友以上の感情を持ち合わせていることなど出逢って間もない頃のヒルダにさえ丸わかりであるほどに露骨であり失笑したことを想い出す。(それに気づきもしない男鹿は、流石と云うべきなのだろうか。)それほどに独占欲の塊のような男だ。ヒルダ達が現れるまで、男鹿の隣はこの男が独占していた。(男鹿はこの男のものだったと云っても過言ではないほどに。)それを、突如訳のわからない理由で奪われてしまったのだから苛立たしいのだろう。それに付け加え、『男鹿の嫁』という対である名称まで掻っ攫われ『悪友』を自負し隣を独占していた男にはにはいささか部が悪い。探りの一つでもいれたくなるのが、不毛な恋をする男の心情というものだろうか。兎にも角にも、別段。『嫁』と云われれも嫌な感情はない。気のせいでなければ。錯覚でないというのなら、少しだけ、おそらく坊ちゃまの次くらいには、男鹿の隣は居心地はいい・・ような気もする。あれは干渉し束縛するような男ではない。頭が足りず考えるよりも先に身体が動くタイプだが、ただ、何かあった時には手を差し出し背で守ろうとする。ぶっきらぼうに「女が傷をつくるな」と、云う。自分は男鹿より弱いとは想わない。けれども、男鹿に守られることは嫌ではない。おかしなことに嫌ではないのだ。少しだけ、ほんの少しだけ心臓がくすぐったいと想ってしまう くらいには。
「まぁ 嫌か嫌ではないかと問われれば、嫌ではないな。そうだな。気に入っている。」クスリと微笑を含ませながらの返答は古市の顔色を激変させるにはさも効果的であったようで、赤くなったり青くなったりと忙しい。そんな見るも哀れな古市を尻目に、ヒルダは新たに生まれようとする自分の中の未知な感情にもう一度だけ嫌ではないと繰り返す。嫌ではない。そう、決して 嫌ではない。どれくらい隣にいれるのかは知れないが、それでも。少なくとも。例え、天変地異が訪れようとも男が魔王の親である限りヒルダは『男鹿の嫁』であり隣にあることに変わりはないのだ。





名前を知らない恋の 話(20110218)