物怖じしない子犬を愛でる行為は快感と共に充足感をも刺激し満たされる。耳障りな筈の吠え声まで愛おしいのだから末期もいいところなのだろう。そう、他人事のように己の感情を推し量ろうとする自分をセフィロスは嫌ってはいない。セフィロスは奇跡など信じてはいない。所詮は紛い物。誰かに縋る行為を嫌悪していた筈だった。そう。少なくともこの子犬に出逢うまでは。だが、今はどうだろう。この子犬との出逢いはセフィロスの廃退的な世界を打ち崩すばかりか、今まで知ることのなかった感情をその身に刻みつけようとする。純粋に愛しいと 想う。子犬を離したくない。誰の瞳にも触れさせたくない。名を呼んで自分だけを見つめて欲しい。人間らしい感情が生まれたかと想えば、子犬に対しての並々ならぬ独占欲まで発揮する始末なのだからそれこそ手に負えない。セフィロスは奇跡を信じていない。信じてはいないが、この出逢いを奇跡と呼ばずして一体何と呼べばいいだろのかと常々考えている。それに代わる名称を知らないからこそ、理由付けをして子犬にこだわる自分を正当化したいのだろう。鎖のように縛り付けて檻の中に閉じ込める みたいに。(博愛主義の子犬が自分だけのもとへと墜ちてくるようにと美しいその手を 差し伸べて。)
奇跡を奇跡と信じるな(セフィロスとザックス 20110301/アンナアベル) |