忠誠ほど都合のいい呼び名は存在しないのではないだろうか、と考えてしまうのは、その言葉を自分の好きなように解釈して利用している自覚があるからだだろう。全身全霊をかけて、ただ独りの為だけに誓う筈の忠義は、サビ丸にとっては欲塗れと同義であると云っても過言ではなく、本来の自分の役割を全う仕切れていない後ろめたさを感じつつも、彼の隣を手放したくないなと願ってしまうそれは、サビ丸だけの問題ではなく、しっかりものに見えて実のところ隙が多い善透が大いに関係しているのだ。彼は、自分の魅力というものに、価値というものに全くの無自覚である。生い立ちを考えれば納得せざるを得ないが、財産がどうのこうの以前に、どれだけ周囲から注視されているのか、どれだけ必要とされているのかを理解していなから、自分にたいして少しでも優しい言葉を与えてくれる相手に弱く、一度でも受け入れてしまったならば相手にたいして寛容になってしまう。故に、サビ丸のような人間でさえも簡単に付け入らせてしまうのだ。もう少し自覚してくれれば、多分、こんな風に忠誠が形を変えることもなかった筈なのだと、責任転嫁したところで現状が変わるわけもなく、ただただ悪戯に浪費される時間が恨めしいことこの上ない。
善透がもし、この忠誠の本当の意味での呼び方を知ってしまったなら何かが変わるのだろうかと考える。
あの淋しげな眼球を見開いて、困ったように自分だけを見つめる双方はきっと身震いするほど美しいに 違いない。





それは わたしのための忠誠です(20091217)