小松はまっすぐと人を見る。ただでさえでかい瞳を輝かせて、遠慮を知らない子供のようにずかすかと他人の心の内にまで入り込んでは本質を暴いていく。本来ならば嫌がられるその行為でさえ、あいつにかかれば なんのその。飾ることを知らない誠実な姿に、いつの間にか人は心を開いてしまうのかもしれない(損得や利害など関係なく、それどころか自覚すらもないところが小松らしいと云えば小松らしいのかもしれない が。)実際のところそんな小松に心許す人間は多い。俺を含めて人癖も二癖もある輩が面白いように魅了されてゆくのだから、第三者から見れば爽快に映るのだろう。随分と出来た人間がいるのだと感心されるかもしれないが、誰にも彼にも優しい小松を見ているといつか手酷く裏切られて傷ついてしまうのではないかと不安に駆られる時がある。小松に嘘や虚言は通用しない。ただ、受け入れて受け止めるだけ。痛みも傷も、哀しみでさえ飲み込んでしまうのだろう。底知れない闇にだって手が届く。もしかしたらあいつの存在は俺じゃない誰かの光であるかもしれない。小松を見ているとそんな不安に駆られることさえある。名実ともにコンビとして誰よりも小松の存在を近しい場所にあるくせに、誰よりも遠くに感じる時がある。例えばと俺じゃない誰かとコンビを組む小松を想像する。きっと小松は俺に笑いかけるように俺じゃない誰かに笑いかけるのだろう。その時俺は笑えているのだろうか。鮮明に想い描けるその様に少しだけ 身震いをする。





分岐点と可能性について(20120112)