あやめは、真選組局長を名乗るあの男のように美しい正義を掲げて生きてゆけるほど器用な人間ではない。クナイを握る理由は何かと問われれば、生きる為に始末屋家業を生業にしていると答えるだろう。そこに幾許かの自分なりの正義を貫き通すことはあっても、それが一般的に受け入れられるとは微塵も想ってはいない。そもそも大手を振って日の目を歩ける程、綺麗な存在ではないのだ。ひっそりと闇の中で生きる人間であるからこそあの男が体現する正義に虫酸が走る時がある。何故、あの男はどれだけ傷つき汚れても清く美しいままであれるのか。真っ直ぐと見据えるその先がどんなに血に塗れていようが決してぶれることのない、志。相入れぬ存在であろうとも修羅を歩む道は同じである筈なのに と、例えようのない羨望を覚えながらも近藤という男が薄ら恐ろしくもある。幕府の犬と誹りを受けても何吹く風と笑い飛ばせる豪胆さと、敵味方であろうが等しく命を重んじる繊細さ。道化を演じるあの犬は、本当は懐に鋭い牙隠し持っていることをあやめは知っている。そう。大衆の認める正義を貫き通すということは狂うことにも等しい。いくつもある仮面を器用に付け替えながら滲み出る狂気を誤魔化すのだろう。それでも時折覗かせる血に飢えた瞳の 美しさ。その様を、お妙は永遠に知らないままなのだ。





その、美しい様(20120119)