人の良さそうな顔をしている。一見、面表は怖い。だが、子供受けは良さそうだ。こういう男は大概裏表が激しく自己主張も強い。正直云ってあまり相手をしたくないタイプだなと傍観を決めていた月詠だが、晴太と神楽がゴリラのような男にじゃれる姿を見て持ち前の固定概念は簡単に打ち崩されしまった。なんというか、真撰組という聞くからに嫌煙したい職業の男は(しかも組織のトップだという)そこらへんの男連中よりも善人に見えるのだ。助平丸出しの男の方が欲が目に見える分あしらいやすいが、こうもいい歳をした男が子供のような顔をして子供とじゃれる姿は失笑を買う・・のだろうが、なんとなく 微笑ましい。そもそも男が何故、吉原に来たかと云えば女を買うわけではなく神楽に引きずられてきたのが始まりだった。「私のゴリラアル」と晴太に自慢げに紹介したところ、天性の子供好きはあれよあれよという間に晴太と仲良しになり、それからというもの忙しい癖に時間を見つけては(仕事の途中に顔を出すこともある)晴太の様子を見に来るのだ。初めは戸惑った日輪も今では男の来訪を喜んでいる。銀時とは違う意味で吉原に光を与えた男。吉原の子供をまるで自分の子供のように可愛がっている。そんな男に懐いた晴太は日頃仕事で忙しい「お父さん」にここぞとばかりに甘え、「お父さん」もまた子供の甘えを喜ぶ。吉原に相応しくない健全な笑い声が辺りに木霊して妙にむず痒い。想えば、晴太に父親はいない。神楽も自分の父親にめったに会えないと聞く。普段背伸びをして大人ぶる晴太と神楽だが、もしあの男のように甘えを許す大人が近くにいたならば彼等は子供であれたのだろうか。少なくともあんなに幼い顔をする二人を月詠は知らない。
小春日和の穏やかな陽気に眠気を誘われる。あくびを一つ零したところで「お父さん」を見ると、地べたに座り込んでへばっている様があった。おんぶにだっこに肩車にと、子供達の要求を飲み続けた「お父さん」は疲れた顔をしている。遊び盛りの子供の体力を甘く見ていたのか、どうやらギブアップのようだ。へたり込んだ姿を見て子供達は非難の声を上げ、もっと遊んでとねだっている。ドラマなどで見る公園で遊ぶ親子のような光景をこの欲の渦巻く町で見られるなど、と。一昔前では絶対にあり得ない日常にただただ笑いがこぼれる。こういうのを平和というのだろうか。子供達にもみくちゃにされる「お父さん」を見るに見かねてお茶が入ったから休憩だと声をかければ、お茶の隣に団子を見つけた子供達は喜び飛びついた。ますます普段の彼等には見受けられない幼さが垣間見える。そんな子供達を優しい眼差しで見つめる「お父さん」は月詠の隣に腰を下ろすと、「ありがとうございます」と笑って月詠の用意したお茶に口をつけた。初めは胡散臭いと想っていた男の隣は、今となってはなかなかどうして、優しくて暖かくほのぼのとした穏やかな空気が心地よくてくすぐったい。子供達と「お父さん」とこうして過ごす時間を好ましいとさえ想ってしまうくらいには、愛しいなと想う。他人から見たら自分達はどんな関係に見えるのだろう。団子を頬張りながら月詠は考える。友達にしては年が離れすぎているし兄弟にしては皆、顔が似ていない。一番近いのはやはり親子なのだろうか。我が子と遊ぶ父親に喜ぶ子供。それを、微笑ましく見つめる母親。なんとなくの想い付きで気付いた立ち位置に月詠が想わず赤面してしまったことは 云うまでもない。
でも、まぁ そんな温かい日も 悪くない(20120202)
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