この右目は餌だ。餌をちらつかせることにより、桔平は服従する犬へと変わる。「大丈夫か」「痛むのか」「休むか」「俺に出来ることはないか」「千歳」「千歳」「千歳」「千歳」「ちとせ」「ちとせ」「チトセ」、「千里」。焦れたように何度も何度も千歳の名を呼ぶ桔平の声色の、なんと心地のよいことっ!実のところ、毎度傷むわけではない。痛みとそうでない時と、大体半分くらいの割合で嘘を撒き散らすことを覚えたのは、自分を心配する桔平を独占したいが故だ。その瞬間だけは、桔平の意識の全てが自分へと向けられ邪魔をするものは誰も、いない。桔平の思考の大半は杏ちゃんや不動峰の連中やら何やらに割かれていて、驚くことに千歳への配慮は想いの外、小さい。距離が離れてしまったせいかとも考えたが、長年の付き合いから単純に千歳への意識が薄れているのだろうと想い当たり(責任感の強さのあまりか、桔平は時々目先のことしか見えなくなるのだ。)桔平を自分へと縛りつける方法を想いついた千歳であったが、罪の意識がそうさせるのか。右目の不調を訴えるときほど、桔平の千歳への関与は過剰になる。その度に、あまりの桔平の変貌振りに、右目のことがなければ自分達は自然消滅してしまうような脆い関係であったのだろうかと千歳は不安になるのだ。誰かの意識を、一点に縛り続けることは難しい。それが、好いた相手ならば尚のこと。想い通りにならないことだらけで、苛立たしさから今にも窒息しそうなくらいに息苦しくもなる。そんな千歳の葛藤を、寸分も理解されていないのだろうなと歯痒む様は裏切りに 近い。

例えば、この痛みを理解して欲しいのだと自分だけを注視させる為に右目を抉り出したところで。
恐ろしいことに桔平は何も変わりはしないのだろうと千歳は、途方に 暮れる。





餌と犬(20091231)