気づかない振りを、する。些細な変化ほど日常に溶け込みやすいのだから、用心深く瞳を凝らさなければならない。人好きする顔の裏側で、ただでさえ細い一重の眼を更に細めながら『観察』していることなど気づかれてはいけない。土方は「近藤さんはまっすぐと人を信じる」とまるで崇拝するかのように瞳孔の開いたそれを、その時だけは少しばかり輝かせながら口癖のように、云う。沖田は「疑うことを覚えてくだせぇ。誰も彼もを懐に入れないでくだせぇ。」と、悲痛に顔を歪める。ただたんに、馬鹿の一つ覚えのように信じることしか出来ない男は、誰かの声に耳を傾けられるような器用さを持ち合わせていない。実践してみたところで、薄っぺらい虚像がペラリと一枚剥がれるだけで、それは到底無理な話だと笑い話の種になるのがせいぜいな、オチだ。
近藤は、自分が土方や沖田が想っているような清廉潔白な男ではないことを誰よりも知っている。『綺麗でありたい』とは想う。誰だって、信念を、志を、自分が正しいと信じるそれ以外の色彩に染められたくはないだろう。近藤も同じで、人よりもその傾向が少しばかり強いだけなのだ。だから『綺麗』でもなければ『清廉潔白』でもない自分が崇拝対象に持ち上げられたところで、正直云って迷惑この上ない訳で。そもそも、『綺麗な人間』など存在するわけがないじゃないか、と。、俺ばかりをみていないでもっと視野を広げ、ろ。と自分を仰ぐ連中に説教の一つでもしてやりたいと常々想ってはいるのだがそれが、それを実践出来ないのは、自分の動向がいかに周囲に影響を与えるかを理解しているからこそ、容易に波紋を抱かせるような言動は取れないのだ。傾倒され雁字搦めに縛られる。近藤が得られる自由は少なく、なんて窮屈なのだろうと嫌気もさす。それでも。 そうでもしなければ、土方の執着や、沖田の視線に耐え切れる筈がない。長年晒され続けてきた彼等の情に流されることもないのだと自分を振るい立たせ今日も近藤は妙を追いかける。妙を追いかける口実があれば近藤は近藤であれる。皆が望むような自分であれるのだ。

云わば、それは。呆れるほどにお人よしだと云われる近藤なりの、処世術でも ある。





げんめつしてくださいよ。ずるいおとこなんですよ、ほんとうは。(20100102)