男は、随分と草臥れている。
いつものような笑みを浮かべながらも、空回っていることは明白で。本人も自覚があるのだろう。無理やりにつくったそれが痛々しく、妙は瞳を逸らしたい衝動に駆られたが寸でのことところで耐え、水割りを造ることで気を紛らわそうとする。カラン、と。グラスの中から響く氷の跳ねた小気味いい音が何故だかどうして、薄ら寒い。そもそも、いつもは頼まれもしないのに何かと騒がしい男が沈黙を守っている時点で気味が悪いというのに!と、八つ当たりを兼ねて心の中で出来るだけ酷い悪態をつくのだが、妙の中に沈殿する男への執着が否応なしに浮き彫りにされるだけで逆効果でしかなく、調子を狂わされていることに苛立ちを覚える自分に 苛々する。ちらりと視線を向ける。男はそれにすら気づかない(いつもは敏感に反応するくせに!)。空ろな眼と口元に胡散臭い笑みを貼り付けたまま、ぼんやりと宙を見ている。苛立ち任せに勢いよくテーブルにグラスを叩きつける妙だったが、男はそれに気を悪くした風でもなく「ありがとう御座います。」と笑う。何がありがとうだと!私がいつ貴方に感謝されるようなことをしたというの?!こんなところで!薄い酒を飲まされて!交わした言葉よりも殴った回数のほうが遙かに多いだなんて、馬鹿げた日常を繰り返して!!ぼったくり以外の何者でもないじゃない!!今にも叫びだしてしまいたい衝動を必死に堪える妙は、軽い深呼吸をすることで悲痛な声をなんとか飲み込むことに成功し再び男の顔を盗み見る。いつもとはまるっきりの別人で、騒がしいと想ったら突き放したような大人の顔をする男のどっちが本物なのだろう。男の知らない側面が妙の神経を悪戯に逆撫でする。じれったい様な、歯がゆい様な沈黙は、自分と男との距離を明確にしてしまった、と、堪らなくなった妙は、動揺している自分を誤魔化す様に視線を彷徨わせる。行き場のないそれが、自分が造った水割りを捉える。手付かずのそれは、グラスから零れテーブルに染みを造る水滴の虚しさを過分に演出するだけだ。
(なんだって此処にきたのよ!考え事をしたいのなら何処かよせへいけばいいのに!逃げるために私を追いかけているくせに!私のことなんて本当はどうでもいい癖に!酷い男!!本当に、酷い男っ!嗚呼 いっそ 死んでしまえばいいのに!)
経った数日顔を合わせていないだけで、一気に年を重ねてしまったような男の笑みに無意識ではあるが妙は形の良い美しい眉を少しばかり引き攣らせた。
聡い女(20100102)
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