近藤さんの暖かさは優しい監獄だ。普段は鈍く(それとも、あえて鈍さを装っているのか。両手を使っても数えても足りないくらいの長い付き合いであるにも関わらず、いまいち読めないお人なのだ)こっちの気持ちなどお構いなしだと云わんばかりに綺麗なまでほどに無視をするくせして、弱ったものにたいしては電波か何かを受信しているのかと勘繰ってしまうほどに妙に鋭いあの人の「大丈夫だよ」と差し出される手は拒絶を受け付けない。それが、どんな悪人であろうが救いようのない馬鹿であろうが誰彼関係なく受け入れては甘やかすものだから膨れ上がるばかりの信者は後を絶たず、それに加え近藤さんの大きな手は心臓を鷲掴みにすることが恐ろしいほどに上手いので一度でも触れてしまえば手放すことなど出来なくなる。なのに、何でもかんでも懐に抱え込む近藤さんに対して不安を覚えて試してみたとしても来るもの拒まずのあの人は懐から飛び出したそれを見送るだけで決して追いかけてはくれないのだ。手放せないから追いかける。必死に必死に追いかけ辿りつく 先。そこには恐ろしいほどに単純明快な公式が導き出す簡潔な答えが待っている。崇拝は盲目的に加速し、近藤さんの存在しない未来など考えられなくなる。
近藤さんの優しさは抗いがたい誘惑に等しく、それと同等に等しく与えられる抱擁は理性を根こそぎ奪う。滑稽なまでに汚れた自分自身を浮き彫りにされるのに、近藤さんはいつまでたっても綺麗なままでそれが余計に焦燥感を煽るのだろうかと考える。じわりじわりと静かに、けれども確実に全身を蝕んでいく痛みは哀しい光悦にも 似ている。(故に、それこそが俺の中の琴線を甘美なまでに震わせるのだろうか)





あなたのかみさまになりたい(20100114)