瞳が眩む。コートを跳ねる小気味のいいボールの音と眩暈を覚える鮮烈な赤さがマーブル状に溶け合う時、決まって橘の脳内では鮮明に『あの日』が再現される。はじめの内は気紛れに訪れたそれも夜の手前で艶やかに色付く闇が濃くなれば濃いほどに酷くなる一方だと、血の色に似た夕闇の来訪を数えるたびによりリアルに、より繊細に、橘の傷を深く抉るかのように深く色付く色彩に魅入られたまま呼吸を囚われそうになるのだ。そんな時は決まって「空は繋がっている」とどこかの誰かが云った言葉を想い出し、もし本当に繋がっているするならば千歳も自分と同じ夕日を見ているのだろうかと、何を感じ何を想い描くのだろうかと思案することの無意味さは橘の滑稽さを悪戯に浮き彫りにさせる要因に過ぎない。なのに、嗚呼 それなのに。今日もまた頼まれもしないまま橘に罪を突きつける夕闇が訪れようとしている。『あの日』の訪れまで美しいと信じていたそれの美醜さなんて今の橘にとっては興味の対象外であり、その色が罪であると認識出来るかどうかが価値そのものと云っても過言ではない。夕闇の訪れを待ち望むたびに祈ることがある。優しさを孕むそれに、『あの日』から付属品に成り下がった右目が焼き焦がされてしまえばいいのにと願うことの美しき崩壊に歓喜する愚かな獣の遠吠えが、彼に届いたなら。そんなくだらない妄想を抱くたびに自己陶酔を赦さない甘美な誘惑に泣きたくなって、夕闇が堕ちてくるたびに橘はどうしようにもなく瞳が 眩む。





絶望コントラスト(20100119)