泣きそうな顔をしている。敵対する間柄でありながら、その死に触れる瞬間この男は互いの立場を忘れて涙を零そうとしている。人としては正しい生き様は、幕府の犬としてはあまりにも不適切すぎることを身に染みて理解しているだろうにそれでもこの男はいつまで経っても変わらずにいるのだ。何もかもが激変する世情に反して信念を貫き通そうと変わらない男の存在は、今この瞬間に至るまで高杉の神経を逆撫でし続けてきたがお人よしもここまでくればいっそ清々しいとクツリクツリと無意味な笑みが零れる。そんな死に底ないを尻目に、今にも泣いてしまいそうなそれでも泣くことを許さないと云わんばかりの強い意志で少しばかり潤んだ涙腺を瞬き一つで制した男の一挙一動を見逃すものかと喰入る様に見つめる高杉の霞んだ右目は徐々に光を失いつつあることを近藤は知っていた。死を目前にしながらそれでも笑う高杉が何を考えているのかおそらく近藤には理解出来ないままなのだろう。近藤は理解したがる生き物であり高杉は拒絶と共に生きる生き物だった。はじめから交わることのない結び付きを恨めしく想うことの無意味さは、どうしようにもなく近藤を虚無にさせる。救えるだろうなどと考えることの傲慢さからではなく、分かり合えたかもしれないという選択肢があったからこそ男の喪失を哀しく想えてならないのかもしれないと結論付けることで、無理やりに零れ落ちそうになる慟哭を飲み込むのだ。
高杉は別段この世界とやらに未練も執着も抱きはしない。死の迫るこの瞬間に至っても駆け巡る走馬灯とやらが映し出す幻影は、今は手が届くことも叶わぬ美しかった過去ばかりを拾い上げあの日の帰路を探しているかのような至福を導き出している。だからこそ、執着を捨てたはずの自分が目前で泣いてなるものかと奥歯を噛み締め感情を殺そうとする男の馬鹿の一つ覚えのように咲かせる笑顔を間近で見てみたかったなとらしくもない願いが果たされないことが少しだけ惜しいと想え意味もなく笑いが零れたのだ、と。閃光を放つ美しき眼球は音もなく閉ざされる。闇が降って世界が終わる。この眼球が最後に映し出した光景を美しいと呼べるだろうかと思案することの僅かばかりの時間は 瞬きほどの刹那で溶けてなくなった。
あなたにいのる せめてものやすらかなるいざないを(20100126)
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