「お兄ちゃん」と、差し出された手を払いのけた過去を。
行き場を失い宙を彷徨う手に視線をおろした弟の、傷ついたような、それでもどこか安堵するそんな姿を想い出したのは、夏の終わりも近づいたある日のことで。
そうえばあの日もまた、今日のように蒸し暑い日だったと、額から流れる汗を拭いながらも正守は鬱屈する。
白昼夢を彷徨っているかのように鮮明なそれは、正守にとっても良守にとっても、記憶の海に埋没しながらも両者にとって忘れ難き汚点でもあると同時に、兄弟の亀裂の深まった瞬間でもあることを、あの愚かな弟は覚えているだろうかと確かめたい衝動に駆られたのだ。
憎みながらも愛している。大切にしたいのに消えてなくなってしまえばいいと願っている。余裕を見せながらも心の奥底では羨みを捨てきれずにいる。弟を壊したくて、弟に壊されることを望んでいる。
良守が生まれた瞬間から、相反する二つのそれを抱き続けてきた正守にとって弟という存在自体が未知でしかなく、その力を認めながらも一方で、認めることを拒絶しようとするちっぽけなプライドと自制心とにこの先の先までも永遠とさい悩まされ続いてゆくことだろう。(正守が何処かで線引きをしない限り、それに終わりは見出せないのだ。)

愛することとは、何と、欺瞞と矛盾に満ち溢れた行為であるのだろうと正守は想う。
この血が濃ければ濃いほどに、弟を、差し出された手を手放せないのは、もしかしたら、自分の方なのかも 知れない。





あの夏が、私を犯す(20091219)