それを『美しい』というのだろう。気づけば羨望している。まるで太陽に焦がれるまま手を翳し震える呼吸を整えるように瞳を細める ように。並び立つ彼等はゼロスにとっては眩い閃光でしかない。
繋がりは絆を深めるという。ならば絆の太さは肉体と肉体とを結びつける血の濃さと比例するのだろうかと思案することの無意味さは、それが太ければ太いほどに強固に形成されるであろう彼等の共通の世界にゼロスの居場所のなさを示しているようで苛立たしいことこの上ないが、同時に愛しさを覚えてしまうことも事実でありどうしようにも憎みきれない。それはゼロスが決して抱くことの出来なかった、絆。親と子。兄と妹。クラトスとロイド。ゼロスとロイド。あるはクラトスとゼロス。複雑に絡み合う多種多様な絆の中で、それでも彼等はどんなに遠く離れていても強固に繋がったままなのだろう。ならば 自分達は?と問いかけたくもなる。自分とロイドは彼等親子のような漠然とした繋がりを証明出来ないままいつまで繋がっていられるのだろうか。隣に、傍にいることだけが距離を置く彼等に誇れる強みになるのだろうか?おそらくそれだけでは望むような絆を形作ることは不可能であることを理解しているからこそ、どうすればよりそれを深めることが可能なのだろうかと思案してしまうのだろう。 ゼロスは美しいものを好む。うすっぺらい虚像で造り上げた造形美ではなく胸を打たれるような鮮烈な美麗さを好んでいる。(例えば、親子の絆であったりロイドの抱く直向さや真っ直ぐさ。人が人らしく生きる性というものに強い憧れと共に惹かれる自覚がある。)理想を越えない限り美しさを捨てられないのだろう。故に、望むような絆はきっと 生まれないままなのだ。
並び立つ姿は 理想的だった(20100126)
thanks / a capriccio
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