世界の崩壊は死と隣り合わせである。
それに比べれば価値観の崩壊なんてものは遊戯と等しいものではないかしら?と。クスリと笑みを浮かべる見慣れた筈の女のそれは知っているようで見知らぬものであり居心地の悪さを覚えるのは、女には以前のようなどこか冷め切った冷笑が似合うだうと漠然と想っていたがこんな風に親しげなそれも中々どうして美しいではないかとクロコダイルはどうにもこうにも調子が狂わされている自分を自覚し違和感を拭えずにるからだ。そんな男の思惑を尻目に「つまらない野望を抱くことも結構よ。でもそんな画策に時間をかけることよりも彼の手をとることの方が遙かに面白いと云えるわね。貴方もどうかしら?彼を選ぶという決断を選択肢に加えるといいわ」と愛おしげに瞳を細める女はやはりあの頃以上に伸びやかで美しい。何が可笑しいのか、にししと笑い「クロコダイル」と自分の名を呼ぶ麦藁に鬱陶しいと冷めた視線を送っては見るが実のところほとんど嫌悪感を抱きはしなかった。むしろ心地よいと感じてしまえるほどに「相応しい居場所」を見つけてしまったような錯覚を抱く始末だったのだ、と。何もかもを見透かしたような女の含みのある笑みに「つまらない意地を張らずにいい加減に認めてしまえ」とでもせっつかされているようで決まりが悪いがそれさえも嫌悪感を感じないのだから、麦藁との接触により思考回路の一部が破損しいよいよおかしくなってしまったのかもしれないと自嘲が浮かぶ(あるいは毒された とでも云えばいいのか)。名を呼ばれても通り名で返すことの会話の往復に一度たりとも麦藁の名前を呼び返した試しがない。ならば手始めにそれを告げるのもいいだろう。驚いたように漆黒の瞳を見開く姿を想像する。その時、おそらく自分もまた女のように笑えるのかも しれない。





世界はカデンツァによって歌われる(20100126)
thanks / レナ