例えばの話「千歳は嘘が下手になった」と笑う桔平に下手になったのではなく上手くなったからこそ下手さを装うことが出来るのだと伝えるとする。お前が奪った時間はこんな風に俺を変えてしまったのだよと安易に告げることの凶器は、面白いほど鮮烈に桔平の笑顔を崩壊させるばかりか鬼門である右目の呪により克明に彼を蝕むのだろう。生命力に溢れたあの頃の獣は自尊心の塊であると同時に千歳を骨抜きにする芳香を放ち寸分たりとも瞳を離すことは出来なかったが、あの頃とは違い弱さを剥き出しにしたまま飼い慣らされる獣もまた千歳の加虐を悪戯に煽り惹きつけてやまないのだ。支配しているようでいつだって支配されているのは千歳の方なのだと、罪という目隠しで瞳を覆ったまま自分から距離を置いた桔平に分らせてやりたい。けれども自分自身を追い詰め死すら願った桔平を甘やかし優しく優しく労わってもやりたい。葛藤の板挟みは良くも悪くも桔平という存在の支配下でしか生きる術を持たない己という存在をこれでもかというほどに千歳自身に知らしめている。なのに周知の事実を桔平だけが理解出来ずにいるパラドックスは千歳を容易にジレンマへと突き落とすのだ。
愛しさと憎しみが交互に訪れては千歳を甘美な地獄へと誘い続ける。ならば桔平を道連れにしよう。堕ちていくのなら共にどこまでも一緒にと甘美な誘いを我侭と名称付ける脅迫紛いの可愛い願いくらいきっと赦される 筈だ。(「赦される筈」ではなく、赦されるべきなのだ。あの日より桔平の選択権は千歳が握っている。彼が選べる未来は永遠に失われたまま なのだから!)





独占欲の海で死す(20100127)